ブックアサヒコムより
動物の倫理 伊勢田哲治さんが選ぶ本
[文]伊勢田哲治(科学哲学・倫理学) [掲載]2014年02月23日
■人間よりも命が軽いのか ケネディ駐日大使が「米国政府はイルカの追い込み漁に反対します」と発言し波紋を呼んでいる。それと前後して、コンビニエンスストアがフォアグラを使った弁当の発売を中止したことも報道され、西洋流の動物倫理思想についての注目が集まっている。 ■「種差別」を告発 しかし欧米の動物倫理の基本的な考え方や問題意識についてまではうまく伝わっておらず、生産的な議論ができていない面も感じられる。 まず、M・ベコフ『動物の命は人間より軽いのか』(藤原英司、辺見栄訳、中央公論新社・1785円)は生物学者による動物の権利論の紹介で、平易な口調でさまざまな領域で何が問題になっているかが語られる。 動物の権利論の核心にあるのは、スピーシーシズム(種差別)、つまり生物種が異なれば別扱いしていいというのは差別にほかならないという考え方である。動物は自分ではその差別を告発できない。だからこそ、動物についてよく知る生物学者が彼らに代わって発言しなくてはならない。著者の誠実な問題意識が書きぶりから伝わってくる。 ■権利論と福祉論 本書はまた、現代の動物倫理運動で権利論とならぶ大きな流れとなっている動物福祉論、つまり動物実験や集約的畜産などの動物の利用は許容されると認めた上で、できるだけ動物に配慮しなくてはならないと考える立場も紹介している。駐日大使の発言は動物の権利論ではなく福祉論に基づく。ただし、福祉論の深まりは権利論との関係ぬきには理解できない。 動物の権利運動のきっかけを作ったのは哲学者のP・シンガーだとされる。シンガーの著作では『実践の倫理 新版』(山内友三郎、塚崎智監訳、昭和堂・2993円)と『動物の解放 改訂版』をあわせて読みたい。前者は人間も含めた倫理学全体の中でなぜ動物への配慮が不可避なのかが簡潔にまとめられている。シンガーの議論は鮮やかである。例えば、ある能力(知性や言語能力)を根拠に人と動物を別扱いしようと論じる人には、ではその能力を持たない人はどう扱うのかと問い返す。逆に大抵の人が持つような特徴を配慮の根拠にするなら、他の動物(とりわけ高度な知性を持つ動物)もまた配慮されるべき条件を満たす。 後者は動物実験や集約的畜産業で実際に動物がどう苦しめられているかの具体例をこれでもかというほど示した本で、初版出版当時センセーションをまきおこした。改訂版では初版出版後に(その影響もうけて)進んだ「5つの自由」を基軸とした動物福祉運動の取り組みとその限界も紹介している。イルカ漁への批判は、こうして非常に厳しくなった欧米の畜産業の福祉基準との比較にも由来する。 一歩引いて状況を眺めるには、H・ハーツォグ『ぼくらはそれでも肉を食う』やJ・M・クッツェー『動物のいのち』が参考になる。前者は人類動物学と呼ばれる分野の近年の成果を集めた本であるが、人間が動物たちに対していかに一貫しない態度をとっているかをまざまざと浮き彫りにしている。動物愛護の活動家ですらとうてい一貫しているとは言いがたい。 後者は小説という形で動物の権利を訴える小説家と周囲の人々との間に生じる軋(きし)みを描く。駐日大使の発言はこの軋みの遠い前触れにすぎないが、日本人も遠からずいやおうなく巻き込まれていくことになるだろう。 ◇ いせだ・てつじ 京都大学准教授(科学哲学・倫理学) 68年生まれ 『動物からの倫理学入門』『哲学思考トレーニング』など。 |